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法話・説教

法話『感じる心』

私たちは、毎日様々な事を感じながら生活をしております。ご飯を食べて「おいしい!」「これまずいなあ!」と感じたり、外に出かけて、「今日も気持ち良く晴れているなあ!」「寒くなったなあ」と感じたり、また人との会話の中で相手の優しさや心配りに感謝したり、植木や花を見て命の大切さを改めて実感したり・・・と様々な事を感じながら生きている訳ですが、それと同時に「苦しみ」「悲しみ」も感じてしまう生き物でもあります。

仕事がとても忙しい時や、病気をして体が痛む時、またストレスや悩み事があって気分が塞がっている時などは、相手の優しさや相手の心配り、また命の尊さを感じる心が鈍くなっています。相手の優しささえもうっとうしく思え、不平不満ばかり感じて、すっかり感謝の気持ちを忘れがちになります。自分の苦しみや悲しみ、不満を和らげるために、「心の感度」を鈍らせ、仏さまから頂いたこの命、この喜びを素直に感じる事が出来ないのはもったいない事だと思います。

私たちの心の感度が鈍っているせいで、「生かされている命」を忘れ、相手を敬う気持ちや感謝の気持ち、仏さまに助けていただいている喜びにも鈍くなってしまい、本来のありがたい命が当たり前の命にしか思っていないような気がします。

毎日暮らしていく中で、様々な苦しみや悲しみを無くす事は出来ません。しかしながら、生きていく中で無駄なんて全くない、自分を支え、心配してくれる多くの人々と、多くの命、そして私を導いて下さるお不動さまがいつも見守ってくれているんだ、という事に気付くと、苦しみは苦しみのまま、悲しみは悲しみのままに受け入れる事が出来、そして充実した喜び、感謝に満ちあふれた日々の暮らしが出来ることでしょう。苦しみや悲しみがあってそれを乗り越えていくために少しの努力は必要かも知れません。しかし、それが自分自身の肥料、人生の糧になるんだと考えますと、物の見方、生き方も変わるのではないかと思います。

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